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和紙について思うこと
考察記事は主に作業中に感じたことを吐き出す場所です。
和紙の手法を勉強する中で、和紙を使った糸というのが数多く実用化されていることに驚きました。
自分の記憶には20年ほど前に、エドウィンが和紙デニムというのを開発したと聞き、それ以降見聞きすることはなかったのですが、現代のSDGsの波もあり再び注目されているようです。
とはいえ、「和紙」という名前のインパクトに便乗して和紙糸を名乗っているところもあるようで、難しい問題だなと思います。
言葉に敏感なのは日本人特有の気質?
欧米はどちらかというと言葉の定義というものに寛容というか、技術やデザインが盗まれれば即訴訟ですが、日本人は特に定義を気にする人もいるようで、自分もその一人です。
例えば「藍」。
何をもって「本当の藍」「偽物の藍」を線引きするのか、いまだに決まったものはありません。
今回の「和紙」
果たして何をもって和紙とするのだろうか。
楮や三椏を使うかどうか?
手漉きが和紙?機械漉きはだめ?
プラスチックは混ぜたらだめ?
繊維だけを使うのが和紙?木を全てパルプにすると洋紙?
定義は決まってないから、それぞれ自分たちの主張する和紙の線引きで商売しています。
全て手作業だったらよいというわけでもないです、進化の過程で機械化が出来たのならそれもまた技術のひとつ。
では果たして自分がハイビスカスを使った和紙、糸などを作るときに、どこで線引きするか。
最後はプライド、気持ちの問題。
古来からある和紙作りを経験してみて、これを糸にするには莫大なコストがかかると分かります。
ではどこを簡略化するか、そぎ落としていくか、代用するか。
出来上がったそれは和紙と名乗れるのか。
今後自分が作ったものから「和紙」という言葉が消えていたら
譲れないものがあったのだなと察してください。
ハイビスカスの枝から繊維を取り出すハイビスカスの枝から繊維(セルロース)を取り出し、新商品づくりの素材として考えていきます。...