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伝統的な技術を継承するだけでは危ないという話

工芸品と工業製品の違い

価値のあるもの、美しいものは時代と共に変わりますが、日本では1900年代、民芸運動が起きると今まで注目されていなかった日用品や身近な道具にも美が宿っていると認識され始めました。民衆が使う工芸、民藝です。

現代でも手仕事や職人の技術が再評価され、手作りのものは素晴らしい、伝統的なもの、天然素材のものは貴重で良いと言われています。

確かに職人技は美しく、天然素材には魅力があります。自分自身作り手としてひしひしと感じます。

一方、化学繊維、化学染料や工業製品は環境負荷の点からも見直されつつありますが、化学や機械の進歩が多くの人に恩恵をもたらした事実は計り知れず、天然素材や手仕事のみを持ち上げる風潮には疑問を感じます。

私がアパレルで縫製をしていた時は工業製品を作っていました。コストや生産性を重視するため化学染料や機械化なども取り入れていましたが、服を作っていたのは人の手です。

工業製品も手仕事や工芸品、どちらも優れている物は素晴らしいことには間違いありません。

両方経験している身としては、それぞれメリットデメリットがあると感じました。

工業製品は科学の力、機械化のため大幅なコストカットが可能です。労働者の負担も軽くなり、生産量が増えると多くの方に製品が届けられます。

ただし環境問題や人体への影響を考慮する必要があります。最近では化学的なものを使用することには厳密な基準や監視が必要になってきました。

天然素材や手仕事の商品は特有の温かみや特別感があり、人の人生を豊かにしてくれます。

環境負荷が比較的少ないとされていますが、手法によっては大量の水を使ったりするので一概には言えません。

そしてこれらの商品は作るのに時間がかかるためコストが高くなります。だれでもいつでも手に入れられるものではないので、恩恵に与れる人は少ないです。

伝統的な手法の定義について

天然染料の定義、オーガニックの定義、工芸品の定義、様々な分野で定義について議論になっています。

例えば藍染は、何をもって藍染かという議論はよく耳にします。

蓼藍のすくもを使う、灰汁発酵建て、ふすまを使う、貝灰を使うなど、伝統的な手法には様々な決まり事があります。

この一部でも化学薬品や他のものを使うと本藍とは言えないというわけです。

もうひとつ、和紙についても見てみます。

和紙の原料は楮、三椏など。それを椿灰の灰汁で煮込んで、木槌でたたいて細かくして手漉きをします。それを木の板などに張って天日干しします。

では、原料の楮を海外から仕入れたらそれは伝統的な和紙ではなくなるのでしょうか。木槌で叩くことを機械に任せたら、手漉きを機械漉きにしたら、天日干しを乾燥機に代えたら。。。

どこから伝統的ではなくなるのでしょうか。

そして、伝統的な手法にこだわりすぎて値段が上がりすぎて誰も買えない、難しくて作り手も減る、そして技術が途絶えたらそれは仕方のないことでしょうか。

これからの工芸、手仕事のあり方

個人的には、現代のものづくり、伝統的なものづくり、本来どちらが良い、悪いの対立構造ではなく、どちらも選択できる状態が豊かさにつながってくるのではと思います。

例えば作り手としては、

植物から染料を取って、染まりやすいように少し化学薬品に頼る、和紙の工程で力作業の部分は機械に頼る、手織りの布の一部は機械織りを使う。

これらは伝統的な手法からは少し外れますが、現代技術と伝統技術を組み合わせることでものづくりの幅が広がることは決して悪いことではありません。

こういったいわゆるお互いの良いところを取ったハイブリット的なものづくりがこれから増えてくるのではと感じます。

普段は科学繊維の服を着ているけど、寝具は天然素材を使いたい、日用品の一部は手仕事のものを取り入れたい、オーガニックにこだわる日もあればジャンクなものも食べたい。

一人一人求めるものが違う、多様な生き方が当たり前になってきています。

そういった人たちに寄り添うためには多様な選択肢が必要です。

選択肢がひとつしかない世界はきっと窮屈に感じるだろうと想像します。

100%伝統的な製法のものづくりは素晴らしいし、工業製品も日常を支える大切なものとして残っていて欲しい。

第3のものづくりとして、それらを組み合わせて身近に手に入れられる値段で提供することも人の知恵のひとつではないでしょうか。

僕自身は伝統的な技術を学びつつ新しい技術も取り入れた、現代の人が手に取りやすい価格帯のものづくりを目指していきます。

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